This is music made with "YAMAHA QY100" of
SEQUENCERS.
これはSEQUENCERSの「YAMAHA QY100」で作った音楽です。
Il cimento dell'armonia e dell'inventione
(和聲と創意への試み)
『四季』
Le quattro stagioni
The
Four Seasons
Op.8
毘跋留的
(ヴイヴアルデイ・Vivaldi・1678-1741)
服部緑地
夏
L'Estate
Summer
mvt 3 Presto
No.2-3
mvt 3 Presto
No.2-3
咲ききつて池とは見せぬ蓮の花 不忍
暗く泥のやうな池でも一面に蓮の花が咲いて美しい世界になるやうに、濁世(ぢよくせ)においても人が救はれる方法はあるのだらうか。服部緑地の蓮の花は毎年多くの撮影に人が集まつて來る。
§
大阪城梅林
春
La Primavera
Spring
1st MOV.
Allegro
No.1
白梅や匂ひたちたる細き指 不忍
八日、妻と娘の三人で大阪城公園の梅を觀に行つたが天氣も良くて人出も多かつた。
梅を見がてら晝食(ちうしよく)の辨當(べんたう)を食べ、綺麗な女性に「手タレ」なつて貰ひ、撮影をしてゐた豪州から來てゐる男性とも輕く挨拶を交はして何だか嬉しくなつた。
§
奈良御水取
春
La Primavera
Spring
2nd MOV.
Largo
病さへ癒すと言はん御水取 不忍
傷む胸に炎熾るや御水取 不忍
2012年3月1日
東大寺二月堂の修二會(しゆにゑ)の行事のひとつである『御水取』は三月十三日(陰暦二月十三日)の未明になつて、堂の前の閼伽井屋(あかいや)やから水を汲んで本堂に納める儀式と辭書にあるが、これが濟めば關西では暖かくなると言はれてゐる。
恐らく、暖かくなるといふ事が萬病に利くのだらうと思つてゐると、夜のテレビのニユウスで「お水取」の樣子が報道されてゐた。
「しまつた! 今年も見損ねたか」
と思はず臍を噛んだ。
三月十三日だとばかり思つてゐた。
來年こそはと例年通りの今年である。
中句は「炎(ほむら)熾(おこ)る」と讀み、十本の松明が二月堂の舞臺から夜空に燃上つて幻想的で、火の粉が振ひ落された時などは一齊に歡聲がどよめいた。
が、よく考へれば『籠松明』は見たのだが『御水取(おみずとり)』そのものの儀式は見てゐなかつた。
本當(ほんたう)は「炎」ではなく「焔」の正字を使ひたかつたのだが、環境依存文字だつたので文字化けの恐れがあると思はれたから諦めてしまつた。
§
服部緑地の櫻
春
La Primavera
Spring
3nd
MOV.
Allegro
たゆとうて花の鏡となる湖水 不忍
2012年4月21日
この句を詠んだ折實際に見たのは川面だが、「湖水」の方が詩的だと思つたのでさうする事にした。
すると忽ち我が身は人里離れた山間(やまあひ)の透明な水を湛へた湖に獨りで佇んでゐた。
言ひたい事の爲には嘘も厭はないといふ藝術上の虚實皮膜ならん。
虚實皮膜は「きよじつひまく」ではなく、「きよじつひにく」が正しいと辭書にあつた。
なんでも調べてみるものである。
藝術至上主義といはれるかも知れないが、その爲には虚偽の表現をしても構はないと考へてゐる。
言ひたい事もなく寫生の爲の寫生の句などにどのやうな意味があらうか。
「白河の關」に行つた行かないで作品の善し惡しを問ふのではなく、その内容で是非を問ふ可きではなからうか。
居乍らにして埃及へ行く身としては。
§
Hydrangea
(紫陽花)
夏
L'Estate
Summer
mvt 2
Adagio
紫陽花が雨降らしたるゆふべかな 不忍
「富士には月見草がよく似合ふ」と太宰治は言つた。
それならば筆者は「紫陽花は雨がよく似合ふ」と言つて見よう。
さうしてそれは降つてゐる雨が紫陽花の所爲(せゐ)ではないかと思はれるほど上品(シツク)に調和(マツチ)してゐると感ぜられる。
§
服部緑地
夏
L'Estate
Summer
mvt 1
Allegro non molto
No.2
§
庄内神社秋祭り(晝の部)
秋
L'Autunno
Autumn
mvt 1
Allegro
§
十五夜&十三夜
2nd MOV.
Adagio
秋
L'Autunno
Autumn
2nd MOV.
Adagio
名月を池にあそばす今宵かな
不忍
§
庄内神社秋祭り(夜の部)
秋
L'Autunno
Autumn
mvt 3
Allegro
熱く響くワツシヨイ秋に舞ふ神輿
不忍
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