2011年12月14日水曜日

I think this song is verysimilar この曲似てる


This is music made ​​with "YAMAHA QY100" of SEQUENCERS.
これはSEQUENCERSの「YAMAHA QY100」で作った音楽です。



この曲似てる
(I think this song is verysimilar)


§


§






『交響曲第九番 ニ短調 作品125『「合唱」』
        と
Offetorium(奉獻唱) .222

Beethoven Symphony 9  d moll Op.125
          &
Mozart OffetoriumMisericordiasDomini”k.222


世に音樂の數多(あまた)あれば、名曲、珍曲あり。
その中で人の「そつくりさん」がゐるやうに、よく似た曲も結構あつたりする。


    6、この曲似てゐる
(I think this song is verysimilar)


第六囘目は年末も近づいて來たので、恆例の貝多芬(ベエトオヴエン(Beethoven)1770-1827)の、

『交響曲第九番 ニ短調 作品125 「合唱」』

の四樂章の「歓喜の歌」の冒頭の部分です。


    YAMAHA QY100による
BEETHOVEN SYMHONIE 9 d moll OP 125





この曲とよく似た音樂がこれまたモオツアルトにあつて、それは、

Misericordias Domini cantaobo in aeternum
(主の愛を永遠に歌はう)

といふ宗教曲ですが、「Offetorium」とは「奉獻唱」と譯されてゐる。
この曲は四十年以上も前に、「音樂の友社」から作曲家のシリイズの書籍が出版されて、巴哈(バツハ(Bach)1685-1750)(バツハ・1685-1750)や韓徳爾(ヘンデル(Handel)1685-1759)とともにモオツアルトも購入した。
その本にはそれぞれの作曲家の作品目録が掲載されてゐて、全曲を聞いて見ようと意欲を燃やしたが、その中にこの曲があつて、ベエトオヴエンの「歓喜の歌」とよく似てゐるのに驚いた記憶がある。
ベエトオヴエンにはこの外に、モオツアルトの『バステイアンとバステイエンヌ』といふ歌劇の序曲とそつくりの『交響曲第三番 「英雄」』の第一樂章の冒頭の主題があるので、聴き比べてみるのも一興かもしれない。
因みに、未だモオツアルトの全曲は聞いてゐない。


 では、ベエトオヴエンの「歓喜の歌」とよく似たモオツアルトの音樂をお聞き下さい。


YAMAHA QY100による Offetorium de tempore "Misericordias Domini(主の愛を永遠に歌はう) .222





 いかがでした?


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2011年12月12日月曜日

Handel Oratorio Messiah 韓徳爾(ヘンデル) 聖譚曲 救世主


This is music made ​​with "YAMAHA QY100" of SEQUENCERS.
これはSEQUENCERSの「YAMAHA QY100」で作った音楽です。




『YAMAHA QY100』による


韓徳爾(ヘンデル・Handel・1685-1759)

聖譚曲(Oratorio) 


救世主(Messiah)



§

And He shall purify the sons of Levi
(かれはレビの裔(すゑ)を潔(きよ)めん)






And He shall purify the sons of Levi
(かれはレビの裔(すゑ)を潔(きよ)めん)

改訂版(Revised edition)





§


For unto us a child born
(ひとりの嬰兒(みどりご)われらの爲に生れたり)




多聲音樂(ポリフオニイ・Polyphony)の合唱曲の中でも白眉だと思はれる作品。



§

Behold and see if there be any sorrow
(見よ後の悲しみと等しき悲しみまたこの世にあるべきや)

ARIOSO



こんなに短い曲なのに、なんて美しい!



§




How beautiful are the feet
(美しきかな喜びの音信を告ぐるものの足よ)













§



Hallelujah!
(ハレルヤ!) 






韓徳爾(ヘンデル・Handel 1685-1759)の有名な、

Hallelujah!(ハレルヤ!)

といふ音樂で、

聖譚曲(Oratorio) 救世主(Messiah)

の中の合唱(コオラス・chorus)です。

音源は「YAMAHA QY100」で打込みました。


お聞き下さい。


§


 If God be for us
(神もしわれらの味方なれば)








 今のところこれだけの曲しかありませんが、全曲とはいかないまでもあと數曲は追加したいものがありますので、乞うご期待のほどを。







2011年12月10日土曜日

Christmas of the dream Original夢のクリスマス 自作(オリヂナル)

This is music made ​​with "YAMAHA QY100" of SEQUENCERS.
これはSEQUENCERSの「YAMAHA QY100」で作った音楽です。




夢のクリスマス
(Christmas of the dream)






 YAMAHA QY100で作つた自作の曲です。 聞いて下さい。
(I played product ivy music in Yamaha QY100.)(Please hear this.)





夢のクリスマス

                作詞 村崎 文 男
                作曲 高秋 美樹彦

ほらごらん 窓辺の外を
聖夜が夢を あなたに招くよ

ほらごらん キャンドルライト
今夜はすべて あなたの為に

手を取り合い 共に生きれば
ああ素晴しい この世界

星の光に 包まれて
今宵楽しく 歌い過ごさんと


ほらごらん 窓辺の外を
聖夜が夢を あなたに招くよ

ほらごらん キャンドルライト
今夜はすべて あなたの為に

(間奏)

手を取り合い 共に生きれば
ああ素晴しい この世界

雪の明りに 包まれて
今宵楽しく 歌い過ごさんと


ほらごらん 窓辺の外を
白夜が夢を あなたに招くよ

ほらごらん キャンドルライト
今夜はすべて あなたの為に


2011年12月5日月曜日

"Motion1" Original Takaaki Mikihiko "YAMAHA QY100



This is music made ​​with "YAMAHA QY100" of SEQUENCERS.
これはSEQUENCERSの「YAMAHA QY100」で作った音楽です。




Music to hear it as BGM. 
It is one of various versions of "Motion 1". 
It was able to announce the music in "QY100" of Yamaha. 


 "YAMAHA QY100 Motion1(Metamorphose・cembalo)Takaaki Mikihiko(高秋 美樹彦)""


I arranged it for  musical instruments.




○  この作品は自作の詩や小説、隨筆などを讀んで戴く時に、BGMとして流さうと思ひつき、樣々なヴアジヨンを作らうとした内のひとつで、今囘は、


『YAMAHA QY100 Motion1 (Metamorphose・cembalo)曲 高秋 美樹彦』


 で作つて見ました。
 

§


motion(cembalo)





これは自作(オリジナル)

 『motion(cembalo)

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は服部緑地にある、

『天竺川堤防』

へ出かけた時のものです。
 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。







§

Motion1(ピチカアト・pizzicato)





映像は四國の徳島懸にある、

『大歩危・小歩危』

へ出かけた時のものです。





§


Motion1(和樂器・Japanese instrum)




映像は和歌山懸にある、

『熊野速玉大社』

へ出かけた時のものです。




§

Motion1(風琴・Organ)




映像は三重懸からの歸り道、

『阪奈道路』

を撮影した時のものです。




§


Motion1(合唱・Chorus)




映像は奈良懸にある、

『谷瀬の吊橋』

へ出かけた時のものです。



§


Motion1(JAZZ風に)




映像は和歌山懸にある、

『熊野』

へ出かけた時のものです。


§


Motion1(金管楽器・A brass instrument)




映像は岡山懸にある、

『和氣の藤祭り』

へ出かけた時のものです。



§


Motion1木管楽器 A woodwind instrument




映像は九州の宮崎懸にある、

『宮崎空港』

から指宿温泉へ出かけた時のものです。


§


Motion1 strings(絃樂器)




映像は鳥取懸にある、

『三朝温泉』

へ出かけた時のものです。


§


Motion1(竪琴・harp)




映像は奈良懸にある、

『石舞臺』

へ出かけた時のものです。



§


Motion1(Metamorphose・cembalo)






改訂版(Full version)

山寺やしじまに殘るせみの聲 不忍



映像は東北の山形懸にある、

『立石寺』

へ出かけた時のものです。





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Motion1(Echo)








映像は三重懸にある、

『古和浦』

へ出かけた時のものです。







§


Motion1(Anether version)




映像は豊中市の天竺川にある、

『墓所』

へ出かけた時のものです。

横にある公園の桐の木は見事なものです。


§


MOTION 1(Mirror) &(Substance)『 柿衞文庫』





映像は伊丹にある、

『柿衞文庫』

へ出かけた時のものです。



     殘し柿

 
去年の暮も押し迫つた十二月の初旬に、妻と一緒に「柿衞(かきもり)文庫」へ出かけた。
その時の映像と音樂は、すでにこのコミユニテイで何度も紹介濟みである。
その中で、館内から見える見事な庭園に柿の木があつて、そこに鳥が實()を啄(ついば)んでゐるのを見ながら、

   衞り切るいのちの糧や殘し柿 不忍

といふその時に詠んだ句を發表した。
『衞り』は「まもり」と讀み、辭書(じしよ)によれば「衛(ゑい)」の舊字(きうじ)で、「護衛」などに用ゐられてゐるので詳細は不要だと思はれる。
當初(たうしよ)、下五句を「殘り柿」と詠んだのだが、直ぐに氣がついて「殘し柿」と改めた。


近年、都會では鳥や獣が人間の放出する「生ごみ」に群がつて、對策(たいさく)を講じなければならないやうになつてゐる。
それが次第に廣(ひろ)がつて、自然の多い筈の田舎においてさへ、それまで滅多に現れなかつた彼等が人里にまで出現するやうになつた。
気候の變化(へんくわ)で、山の木の實が不作だと云ふ原因はあるかも知れないが、それよりも問題は山や森林を管理する村に定住する人々が高化で人員不足となり、生活環境も都會化されて電化製品を使用するので、雜木林を間伐して焚き木に使ふ薪(まき)を必要としなくなつて、山林が荒れてしまつてゐるのが大きな原因ではないかと思はれる。


妻の實家でさへ、風呂を利用するのに太陽熱によるお湯の利用と、瓦斯(ガス)と薪による方法で沸かしたりしてゐたが、家の改修をするのに風呂もついでにといふ事で新しくしようとしたところ、需要者が少ないからか、太陽熱や瓦斯や電氣を利用する製品はあるが、薪にも對應出來る風呂釜がもう生産されなくなつてゐるといふのである。


()てて加へて、竃(かまど)さへ廢棄しようとしてゐた。
けれども、暮の餅搗()きで簡易な市販の「餅搗き器」を購入したので、それで屋外に出て餅を搗かうとしたのだが、あまりの寒さに昔ながらの竃を使つて三和土(たたき)で餅をつく事になつた。
かくてその有効性が認められ、竃は延命の運びとなつた。
(げうかう)の到りである。


以前、誰かの日記のコメントに、天變地異が起つて電気や瓦斯の供給が寸斷されても妻の田舎の生活生命線(ライフライン)は安泰だと書いた事も怪しいものとなつてしまつた。
このままではライフラインばかりでなく、親から子へと傳(つた)へられる農業の技術情報(ノウハウ)も、途絶えてしまふ可能性があるといふ危機的状況ではないのかと心配される。


ノウハウとは、例へばどの時期に種を植ゑれば良いのかといふだけでなく、それからの補助(フオロオ)ひとつで作物の出來が違つて來るのである。

「大根ができた」

といふ妻の發言に、

「出來たんぢやない、作つたんぢや」

といふ祖母の名言に、事の重大な秘訣が隱されてゐると思ふのは、筆者の穿ち過ぎばかりではないのではあるまいか。


いつの頃からか、商品價値があるからといつて杉の植林が多くなつてゐるが、動物の食料になる雜木林の崩潰によつて、環境そのものが維持出來なくなつてゐる。
その上、人手不足で管理出來なくなつたり相續問題で山林を手放さなければならなくなつて、それを海外の人が入手する事態にまでなるといふ深刻な問題となつてゐる。
江戸時代の幕府は日本の森林を守つたといふが、所有者が海外の企業や個人がそれを保持してくれるといふ保證は何處にもない。
今こそ、開發をする事と管理をする事の意味を考へ直さなければならない時期に來てゐるのではないか。


農地に鹿や猪などの動物が侵入して田畑を荒らす時、案山子や鳴物で侵入する動物を追ひはらつてゐたのが、今では電流を通した線で圍ふやうになつてしまつた。
昔の人はその周りに食料となる捨て地を用意したり、墓の供物(そなへもの)や雜木林を作つて防波堤としたのである。
勿論、彼等がこの陽動作戰にいつでも應(おう)じてくれる譯ではなく、田畑が荒らされるのは相變らずなのだが、墓の供物は、鳥や獣だけでなく行き倒れの人の命さへ救つたかも知れないから、さう考へれば共存する意識は極めて高かつたのではないかと思はれる。


その根據の一端が、この「殘し柿」である。
これは柿に限つた事ではないのだが、果物を収穫する時に全てをとらずに上の部分の果實を鳥の爲に殘しておくのださうである。
祖母流にいへば、

「殘つてゐる」のではない。

「殘してゐる」のである。

從つて、「殘り柿」ではなく「殘し柿」となつたのである。
そこには衞(まも)るのは自分たち人間の命ばかりではなく、他の動物の命も考へて地球の住人として共存して行くといふ願ひが感じ取れるのではなからうか。

   衞り切るいのちの糧や殘し柿 不忍


とここまで書いて、筆者には衒學(げんがく・Pedantry)的なところがあるから、作品を讀まれる方は鼻につくかも知れないと考へる事がある。
戒めなければならない惡癖なのだらうがと反省はするのだが、文章を表現する手法(スタイル)のやうになつてしまつてゐてなかなか直りさうもない。
と結局は開き直つてしまふ。


二〇一一年正月十五日午前四時半








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